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ノルマンディー上陸作戦の成功要因とは 2019.6.7.

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■1944年、第二次世界大戦の転機


1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦は、ナチス・ドイツに占領された、フランスを解放するきっかけとなりました。この作戦の成功要因とは?

YouTube 「Sky News」より



■アメリカの本格参加

まず、第一の要因は、アメリカ軍が、本格的に参加したことです。

1944年の欧州は、ナチス・ドイツが席巻し、フランスは、1940年6月のパリ陥落以来、ナチス・ドイツの支配下にありました。ナチス・ドイツは、1940年から、約4年間も、欧州の大半を支配下に置いていたのです。

フランス軍は、降伏し、イギリス軍も、欧州大陸から撤退。

こうした中で、ナチス・ドイツに連合国側が反撃を開始したのが、
1944年6月のノルマンディー上陸作戦です。「D-DAY」とも、呼ばれていますね。

この上陸作戦は、基本的には、米英の連合軍です。やはり、アメリカが、本格的に参加したことが、作戦成功の、大きな要因です。


■制空権の確保

作戦にあたって、連合国軍は、ナチス・ドイツ空軍関連の補給拠点を空爆し、制空権の確保に努めていました。この空爆の支援がなければ、ナチス・ドイツ軍への勝利は、難しかったでしょう。

ナチス・ドイツの支配は、約4年間にも、及んでいました。しかし、ナチス・ドイツは、完全に、欧州の制空権を確保できていなかった、という、意外な事実が、見えてきます。

ナチス・ドイツによるロンドン大空襲は、1940年から1941年まで行われていますが、その後は、イギリス空軍の防戦で、散発的な攻撃に変わっています。

ナチス・ドイツの戦闘機は、航続距離の問題を抱え、イギリスへ向かう爆撃機の援護を十分行えませんでした。このため、空襲は、
夜間に爆撃機が行うパターンが、多くなっていたのです。

一方、イギリスは、レーダーでナチス・ドイツ空軍の動きをみて迎え討ち、戦闘機対、爆撃機という戦いで、勝利します。

ナチス・ドイツは、次第に、戦闘機や爆撃機の多くを失い、空中戦での壊滅的な大敗もあって、イギリスに対する空爆は、約1年間で、下火になります。イギリス空軍は、勝利し、1944年の頃には、既に、イギリス空軍が、制空権を確保していたわけです。


■失敗経験をもとに、上陸装備を改良

連合国軍は、各地の戦いでの失敗をもとに、上陸装備を改良します。やはり、戦車を上陸させるというのは、難しい作業なわけです。それまでの、失敗経験をもとに、上陸装備を改良し、ノルマンディー上陸作戦に備えました。




■「情報戦」に優れた、イギリス

イギリスの情報機関が、優れていた側面も、大きな要因です。ナチス・ドイツの暗号「エニグマ」は、既に、解読されていました。ナチス・ドイツから逃れた技術者の活躍、連合国が戦闘で手に入れたエニグマの分析などが、進められたのです。さらに、フランス海岸部の地形の情報取集、ナチス・ドイツの拠点の分析なども、緻密に行われていました。

一方、イギリスからは、情報の流出が抑制され、情報の、かく乱が行われました。

ナチス・ドイツ側は、連合国側が、どこかに上陸作戦を実施するであろう、ということは、わかっていましたが、それが、どこなのか、情報の分析が混乱し、誤っていたのです。スパイ、情報の機密保持などで、イギリス側が、優れていたのも、勝利の要因というわけです。

そういえば、「007」の主人公、ジェームズ・ボンドも、イギリスの情報部員を、
イメージして描いたものですね。


■ナチス・ドイツの戦線拡大

さて、ナチス・ドイツの支配は、約4年間にも、及んでいました。その支配地は、欧州の大半で、戦線の拡大は、不可避な状況でした。1941年からは、ソ連とナチス・ドイツの戦いが始まり(東部戦線)、ナチス・ドイツは、広大な欧州大陸に、戦力を分散させる必要に迫られました。

ナチス・ドイツによる、フランス支配から4年経過という、タイミングも、戦線の拡大と、表裏の関係にあり、例えば、支配から1年とか、2年後であれば、ナチス・ドイツを破るのは、難しかったでしょう。


■大義が、どちらにあるか

そして、これが、戦線の拡大とも、関係しますが、連合国と、ナチス・ドイツの、
どちら側に、より大義があるか、です。ナチス・ドイツに抵抗する、フランスのレジスタンスは、イギリスに情報を提供し、反撃の機会を伺って、潜伏していたのです。

大義がない、ナチス・ドイツは、時間の経過、年月の経過とともに、水面下のレジスタンスの動きに、翻弄されることになります。大義がなければ、一時的に、支配地を拡大しても、年月の経過とともに、ほころびが生じやすいです。

フランスのレジスタンスの、連合国軍との連携が、正確な情報の提供や、連合国軍の反撃の支援に、効果を及ぼし、その後の、パリ解放へと、勝利を呼び込んでいます。

このように、アメリカの参加、情報戦、制空権、レジスタンスの情報提供、戦線の拡大、支配4年間の時間経過、このような点が、連合国軍のノルマンディー上陸作戦を
成功させたといえます。

とくに、情報の収集、失敗経験をもとにした改良、時間経過の効果などは、投資分野でも、大いに、参考にしたい部分ですね。

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【編集後記】
ノルマンディー上陸作戦のあと、
フランスが解放され、
第二次世界大戦の戦局は、
大きく転換することとなりました。
(児島)





【NEXT】
日本であまり知られていない「バトル・オブ・ブリテン」とは



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