【NY1】「バトル・オブ・ブリテン」日本では聞かない、WW2重要ポイントとは 2019.6.9

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日本であまり聞かない、 「バトル・オブ・ブリテン」とは 2019.6.9 


■ナチス猛攻撃に、持ちこたえた英国空軍 

先日は、第二次世界大戦の転換点となった、ノルマンディー上陸作戦(1944年6月)について、お伝えしました。日本での報道は、低調ですが、アメリカでは、「D-Day」として、大きく報じられ、当時の元軍人には行事で、敬意が払われています。 また、「バトル・オブ・ブリテン」は、ノルマンディー上陸作戦を成功させた、もうひとつの、転換点と言えます。

■日本人はあまり知らないロンドン大空襲 

 日本での空襲は、ほとんどの方が知っていますが、ロンドン大空襲は、あまり知られていません。歴史教科書での、扱いが、小さすぎるから、でしょうか。あまり、詳しく知らないまま、学校での歴史の授業が、完了してしまいます。ですので、大人になっても、日本人は知らない、というわけです。

 ロンドン大空襲は、ナチス・ドイツが、1940年9月から1941年5月にかけて、フランス占領の、次の狙いとして、英国を空爆し、攻撃したものです。こちらのYoutube動画のように、ロンドン市街地が激しく炎上しています。

YouTube「British pathe」より


 ナチス・ドイツの爆撃で、空襲警報が鳴ると、ロンドン市民は、地下鉄に逃げ込んでいたようです。1940年は、英国も、激しい爆撃にさらされ、厳しい状況であったわけです。 


 ■英国空軍が果敢に防戦 

 当初は、ナチス・ドイツの戦果が、目立っていたわけですが、ナチス側の戦闘機の航続距離が十分でなく、徐々に、英国の戦闘機が優位となります。英国の戦闘機が優位となり、ナチス・ドイツの爆撃機は、次々と撃墜されます。また、レーダーを使った英国の防空も、次第に効果を上げます。 

ナチス・ドイツ側は、昼間は、戦闘機による爆撃機の護衛が十分でないため、英国の戦闘機に爆撃機が撃墜されます。このため、夜間に爆撃機を飛ばしますが、1941年の夏ごろには、英国の防空が優位となり、ナチス・ドイツの爆撃は、散発的にとどまります。 

また、1941年6月には、独ソ戦の開戦があり、東部戦線に戦力を配置する必要が生じたため、ナチス・ドイツの英国攻撃は、下火になります。こうして、制空権は、英国空軍が握ることになりました。この戦いが、「バトル・オブ・ブリテン」です。 




■ノルマンディー上陸作戦での意味も大

さて、このバトル・オブ・ブリテンは、1941年の後半には、英国の勝利となったわけですが、英国が制空権を持ったことは、ノルマンディー上陸作戦で大きな意味を持ちます。 ノルマンディー上陸作戦は、次の動画のように、空爆での支援が、効果的となっています。 

YouTube 「British pathe」より
 

また、有名なパラシュートでの兵士の降下も、制空権がある中で、可能となっています。つまり、制空権が、バトル・オブ・ブリテンで、英国に移っていた意味が、大きいわけです。 ということで、1941年に、英国空軍が勝利したことは、1944年のノルマンディー上陸作戦の成功に、結びついたといえます。

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