NY1メルマガ2018.4.11「高橋是清は、偉人ではなかった?デフレの問題点」

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高橋是清は、偉人ではなかった?デフレの問題点(2018.4.11)

こんにちは。児島です。 日本は、戦前にも、デフレを経験していますが、高橋是清も、果たして、デフレの意味をわかっていたのか、という観点からのメルマガです。 この観点から書こうと思ったのは、世界最大級のヘッジファンド、ブリッジ・ウォ―ター・アソシエイツのレイ・ダリオ氏が、1937年と、現在の共通性を指摘しているためです。高橋是清は、軍部の予算膨張要求に対峙した、「偉人」のように受け止められることが多いですが、実は、そうではないのではないか、と思うのです。 ■レイ・ダリオ氏の1937年説 世界最大級のヘッジファンド、ブリッジ・ウォーター・アソシエイツを率いる、レイ・ダリオ氏。様々なメディアで、大恐慌から数年後の1937年と、現在の共通性を指摘しています。 ニューヨーク・ウォール街を発端とする、株価大暴落(1929年)から数年後の1937年と、リーマンショック(2008年)から時を経過した、現在の状況が、似ているという指摘です。 日本の戦前を、振り返ってみましょう。 ■戦前の日本のデフレ 戦前の日本も、デフレと不況に悩まされていました。

1929年10月24日から10月29日にかけて、ニューヨーク・ウォール街の大暴落。これが、世界大恐慌に発展し、翌年の1930年、1931年と、世界で金融機関の破たんが相次ぎました。

日本では、濱口内閣・若槻内閣(第2次)で、井上準之助 大蔵大臣が、「井上デフレ」といわれる、緊縮策をとっていました。※1929年・昭和4年~1931年・昭和6年

井上準之助は、第9代 日本銀行総裁、(1919年・大正8年就任)さらに、第11代 日本銀行総裁です。(1927年・昭和2年就任)いわば、日銀系の大臣です。

日銀出身の井上準之助の経済政策は、金本位制への復帰、緊縮財政で、産業の合理化を進め、「日本の競争力を強化する」という考えでした。いまで言うところの、構造改革で、産業の合理化で、残る企業を選別すれば、いずれ景気は良くなる、という考え方です。

なにか、聞いたことがあるような話ですね。このやり方は、現代の日本と同じように、デフレ・スパイラルに陥り、深刻な不況となりました。

机上の理論では、いずれ良くなるはず、ということであったのですが、現実は、真逆だったのです。つまり、国民の生活が厳しくなり、ますます、経済が落ち込む、という、負の循環、悪循環でした。


■昭和恐慌で、デフレが猛威

日本の都市や、農村部では、昭和恐慌により、極度の貧困化、飢饉が起きていました。恐慌による、デフレが、猛威をふるっていたのです。

その後の、犬養内閣※1931年・昭和6年~1932年・昭和7年では、高橋是清が、大蔵大臣に就任。

高橋是清は、犬養内閣(暗殺)に続く、斎藤内閣・岡田内閣でも、大蔵大臣を務め、「井上デフレ」の政策を転換します。そして、数字上は、デフレは、終息したことに、なっているのですが・・

※高橋是清 大蔵大臣
1931年・昭和6年~1934年・昭和9年~1936年・昭和11年


■5・15事件と2・26事件の背景とは

1932年・昭和7年には、海軍の青年将校が、官邸を襲撃し、犬養首相が暗殺されています。

また、1936年・昭和11年の2・26事件では、陸軍の青年将校が、高橋是清などを暗殺。

当時は、軍縮+財閥は利益回復+国民生活の窮乏、という、組み合わせの状況でした。

高橋是清は、第7代 日銀総裁も務めた人物。
※1911年・明治44年~1913年・大正2年


「井上デフレ」の政策をやめ、日本のデフレは、表面上は、解消したかに見えていました。しかし、これは、財閥企業が中心の話で、日本全体の需給面では、とても景気が良いというわけではなく、農村部など当時の多くの国民の生活は、厳しいままであったのです。

事件を起こした青年将校も、世界恐慌の後、回復しない、国民生活の窮乏を見ていました。当時は、表面上は、デフレが終わったかにみえても、それは、一部の話で、国民全体の需給という部分では、まだまだデフレ的であり、貧しい状態が続いていたのです。

なんだか、いまの日本と似ています。


■高橋是清も、デフレはわかっていなかった?

高橋是清は、軍の予算を抑制するとともに、「井上デフレ」を転換させた、偉人のように
みられることも多い人物です。しかし、デフレの本質は、高橋是清でも、たぶん、わかっていなかったのでしょう。

これは、恐慌で失われ、破壊された、国民生活と、国民生活が、回復しないと、本来のデフレ脱却とは、言えないということです。

膨大な需給のギャップが残っているため、表面的には、デフレから脱却したようにみえても、実は、違うということです。

この膨大な需給ギャップは、そのまま、解消することができずに、世界は、第二次世界大戦による破壊で、需給ギャップを解消することになります。

つまり、デフレは、世界戦争によって解消されている、このような歴史があるのです。


■デフレは、一刻も早く解消を

こうした歴史があるため、デフレは、一刻も早く、解消する必要があるのです。

ときどき、リベラル紙で、低成長でもいいではないか、インフレ率が上がらなくても、いいではないかという論調を、見かけることがありますが、これは、とんでもない話です。

貧困や戦争を肯定するに等しいことです。

紙幣を増刷して、デフレを解消するのと、世界戦争で犠牲者が出るのと、どちらが良いのか、こういう選択になってくるのです。

日本は、あらゆる手段を行って、先進国の中で、デフレ脱却、高成長の見本となるべきです。こうした面で、世界をリードすべきです。

元FRB議長の、バーナンキ氏が言っていた、ヘリコプターマネーに、躊躇する必要はあるでしょうか?デフレのリスクは、世界大戦につながるほど、はるかに大きく、日本のデフレは、世界各地の保護主義にも、間接的に悪影響を及ぼしています。

日本の低成長・デフレは、世界全体の需給にも、マイナスに作用しているからです。日本が、世界景気を良くするぐらいの考えが、必要なのです。

高橋是清は、国民生活全体の需給までは、当時、改善できませんでした。その結果、日本は、第二次世界大戦で、国内全体の需給を「調整」することになっています。

高橋是清は、日銀総裁・首相・大蔵大臣などを歴任して、葉山(神奈川県)に別荘も持っていましたから、さすがに、都市部や農民の生活の惨状には、直接的な、実感がなかったのでしょう。

あるいは、デフレが何かまでは、当時は、わかっていなかったのでは、ないでしょうか。

インフレは、所得の目減りはあっても、すべてを奪われることは、あまりないですが、デフレでは、雇用喪失で、極度の貧困、生活苦が起きます。そして、最後には、悲惨な世界大戦で、需給を「調整」することになりがちです。

当時から、約80年ほどが、経過しているわけですが、日本は、同じことを繰り返さず、デフレ解消のために、貧困や格差問題に、大胆に取り組むべき時期で、GDPやインフレ率の上昇で、世界をリードすべきです。


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